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2008年9月23日 (火)

「父への恋文 新田次郎の娘に生まれて」藤原咲子著

私は新田次郎のかなりのファンである。実は高校生の時に登山が好きになって、高校生なので実際にはあまり遠くの山などには行けないので、新田次郎の山岳小説を夢中になって読んだ記憶がある。厳密に言うと、小説を読んだからより一層山に行ってみたいという、どっちが先か良くわからない部分もある。

だから、この本が出版された時には割とすぐに購入した。だけど、なんか読むのが怖くて?というのか、妙に距離をおきたい部分もあって、途中までの読みかけになっていた。そして本棚に飾っておく感じの本になっていた。ようやくこの前の日曜日に改めて最初から一気に読んだ。

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私の感想はというと・・・・

このエッセイを読むにあたって、必読の書がある。それは、新田次郎夫人であり、藤原咲子さんのお母様の書いた、昭和20年代の大ベストセラー「流れる星は生きている」(藤原てい著)である。新田次郎ファンには割りと有名なことだが、奥様の藤原ていさんが満州からの幼児3人を抱えて必死の日本への引き揚げの様子を書いた書である。私はこの本を随分前に読んだけど、壮絶な体験記であった。生まれたばかりの乳飲み子の咲子さんは栄養不足で全くお母さんが乳が出ない状態で1年ばかりを育った。誰か一人を置いていかなくてはならないかもしれない・・・・それぐらいの追いこめられた想像しがたい状況だった。本当に命からがら日本に帰還。感動の本であり、ご主人の新田次郎氏もソ連の抑留からようやく日本に戻ってきて気象庁の役人をやっていたものの、この本の印税で全て土地と家を購入して一家は暮らしていた。

そこで、このことをバネにして新田次郎は作家の道を歩むことになった。奥様に追いつき追い越せである。生後間もなかった咲子さんはあまりの栄養不足がたたって、成長が遅れて、言葉も遅れていたという。それを、父親の温かいまなざしで、目の中に入れて痛くないほど可愛がっていた様子が伺える。特に作文指導をずっと小学生から高校生ぐらいまでしていた様子がなんともいえない。いつか自分が死んだら「作家新田次郎はこういう人間だったと本にしなさい」と小さい頃から添削の合い間に語っていたという。

この本全体を読んでいると、本当に娘と父のあり方にジンワリ。恐らく咲子さんはファザコン気味なのかなあ?という部分があるけど、逆にお母さんのていさんが毅然とした厳しい感じの方だったが故に、家族でのバランスというのだろうか。3兄弟は長兄が宇宙学者、次男が数学者でエッセイスト(「国家の品格」等)で有名な正彦氏と何れも素晴らしい。教育熱心な一家で、やっぱり新田次郎の小説を読んでいると一本筋が通っているけど、エッセイの中を読んでみても、やっぱりそういう感じがする。他にも、新田次郎のファンならば知っておきたいおきエピソードがちりばめられていて嬉しい。

父である作家の新田次郎氏への宿題を果たした形の本で、読んでいる私までも何故かほっとしてしまう。咲子さんは大学院をへて中国に渡り、中国語をかなり本格的に勉強された知的な方である。

個人的には、すごく細かい点で確認したい風景描写などもあったので、今度確認してみようかなって思う。

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