2011年3月11日東日本大震災の一日(個人的備忘録 その2)
前回の備忘録では家に戻った時までを記載しましたが、その後の話を少し書いておきます。個人的な話が多いので、興味のない方はスルーしてくださいませ。
↓の続きを読むから記載します。
家にやっとたどり着いたのは9時40分で、ちょうど会社を出てから4時間後だった。途中で家のそばのお店で食事をしようとしたら、幹線道路のファミレスは閉店しているところと、満員のところと。普通のお店も時間早々に営業中止のところが多かった。
◆教訓その1◆
有事の時でお腹が減っている時は、なるべく早目に食事をとっておこう。コンビニでも少し多めの行動食は売っているうちに入手要(買いだめしない程度に )チョコレート1箱だけではこころもとなかった。
◆教訓その2◆
当日はかなり寒かった。最初はそれほどでもなかったが、歩いているうちに体が冷えきった。ダウンオーバーのフードを最後には被って歩いた。もし、今後もこのようなシチュエーションがあったならば、会社のロッカーの中にあったカーディガンも持参してくればよかった。
さて、家に着いたというがマンションのエレベーターは点検のため停止。
家に入ってチェックをすると、わずかに安物の3段ボックスに収納していた本が3冊位扉を開ける形で棚から落ちていただけ。凄いと感心したのは、リビングと和室の間にある鴨居(5ミリぐらいしかない)に吊るしてあった2つの洗濯物の一式(洗濯ばさみで吊るすジャラジャラするやつです。)が全く落下していなかったことだ 普段でもちょっと触るだけで落下するのが、今回は大きな横揺れだったので、うまく波動を合ってゆらゆらしていたんだろう。
電気も点くし、水道も出るので一安心。PCでツィッターで帰ったよ~ってつぶやいたら、すぐに「ガスの栓をちゃんと開けないとつかないよ」とアドバイスのつぶやきが返ってきた。やっぱりガスはつかない。アドバイスでは元栓を開けに行かないとならないというが、うちの家はどこにあるの? 廊下にあるみたいで見に行くが、本当にこれか確信が持てないので、セキュリテイー会社に電話して確認。やっと思い切っていじってみるが、なんだかうまくできない。そうこうすると、隣のご主人も帰宅してきて、お互いに相談しながらやってみる。やっと開栓! やれやれ・・・・ たぶん20~30分位おたおたやっていた。
ところが、しばらくするとガスが消えてしまっていて・・・・・ あら~大変!! 結局、もう一度最初から操作をし直して、やっとガスをつけることができた。ふぅーーー。
◆教訓その3◆
ガスの元栓がどこにあるか位はちゃんと覚えておくように。
◆教訓その4◆
いままでは遊びでしかツイッターを使っていなかったが、今回は大変有効なアドバイスをいただけて助かった。自分が大変な時でもアドバイスをして頂ける人が他にいることが実感できた。普段から有効なサイトをフォローしておかないと、とっさには対応できない。
帰宅してテレビを見て、改めて今回の大災害に恐怖を感じる。余震も何度かある。ただ、とっても眠くて疲れていたので、その日は爆睡した。
◆教訓その5◆
大きな家具にはすべて親父殿が転倒防止の棒を引っ越した時につけてくれていた。唯一施していないのは食器棚と液晶テレビ。この二つには転倒防止商品の品薄が解消されたら買って対策をしておこうと思う。
地震の翌日以降は停電のために水を購入したかったが全く売っておらず。やむなくウーロン茶等のペットボトルを2本ほど購入。
◆教訓その6◆
うちのマンションは電気で水を上げているので停電=断水。普段からお風呂のお水は取っておくので、しばらくの間ならばトイレを流すことはできるが、飲料水は深刻。特にミネラルウォーターは買わずに普段の水道ですべてやっているので、常備のミネラルウォ―ターの買い置きはなく。やっぱり、ペットボトルで数本はミネラルウォーターを常備しておくべき。
◆教訓その7◆
いつもトイレットペーパーはかなり多目にストックしてある。今回はたまたま買うタイミングが地震の翌日で、その時は普通に販売していたので1つのみ購入。その後は買いだめ騒動のニュースを知りびっくり。小さい頃の騒動を思い出した。普段から常に安心量を備えておくのが理想。
週末が終わって月曜日に会社に行く。動くとされた私の路線は、不確実とされた私鉄から大量な人達がバスに乗って到着。駅は混乱状態で入場規制。ヘリコプターの取材がきていたり、報道関係者が何人か駅で写真撮っていた。1時間半駅の外でずっと立っていて疲れた。会社に行くのに3時間近くかかった。
ところが、問題は帰りの電車。途中の乗換駅で入場規制。長蛇の列で乗り換えられない!!! 乗換駅は普段から降りる人が少ない駅。婦警さんも出動していて、「たぶん1時間かそれ以上は行列で待ってください」という。この日はスニーカーで出社していたので、途中駅まで歩くことにした。線路脇の道を最初は走って、途中から歩いていく。結局、30分ラン&ウォークで2つ先の駅から電車に乗ることができた。
◆教訓その8◆
災害の時にはスニーカー!
会社では随分日にちが経ってから「カジュアルな服装での出社を許可する」と通達がでたが、そんなん言う前からやってますわ。いつ停電で電車が止まってもよいように。
近所のホームセンターに買い物に行った時のこと、頭上の天井が落ちかかっていて、その下を立ち入り禁止にしていた。いかにも安普請の建物で納得。
◆教訓その9◆
危ない建物には近づかないこと。東京郊外の駐車場では壊れて亡くなられて方も出ている。
まあ、いろいろとあるけど、とりあえず自分の地震直後から思っていたことを備忘録としました。東京は被災地ではないけど、通勤通学がみんな遠い場所なので、それなりに大変です。なお、会社には11時間かけて自宅まで歩いて帰宅された方がおりました。さすが、元自衛官でした。尊敬です。
« 2011年3月11日東日本大震災の一日(個人的備忘録 その1) | トップページ | 仙台空港、亘理町の周辺の被災状況 »
「大震災」カテゴリの記事
- 阿武隈川河口の被災状況(岩沼市・亘理町の一部)の写真(2011.03.27)
- 2011年3月11日東日本大震災の一日(個人的備忘録 その1)(2011.03.27)
- 2011年3月11日東日本大震災の一日(個人的備忘録 その2)(2011.04.03)
- 仙台空港、亘理町の周辺の被災状況(2011.04.03)
- 東日本大震災の記録(岩沼市付近の状況)(2012.02.06)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント