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2005/01/22

ゲレンデ深雪滑り

先週一緒にスキーに行ったHさんとIさんは、7、8年ぐらい前?にカナダのバンフにスキーに一緒に行った3人組だ。Hさんとはその後も何度かスキーをご一緒していたが、Iさん(1級とゴールドの彼女)はそのとき以来だった。当時は、彼女は毎年海外スキーに行っており今以上にバリバリだった。

そんな彼女達と行ったカナダのスキー場は、めちゃくちゃ広くて人が少なくて、シュプール跡が少なかった。1月の厳冬期ということもあっただろうが、なんかどこも閑散としたスキー場だった。私は海外旅行に不慣れで、食欲なくてシャリバテ状態で、貧血を起こしてしまう有様(とほほ・・・・・大苦笑)。ゲレンデのリフトもバータイプのが何箇所かあって、うまくお尻を載せていないと脱線してしまうし、腕は疲れるし。。。。えらくつらかった。

当時はもちろんカービングスキーでなくて、日本から持っていった自分の板で滑っていた。普通の斜面はもちろんそれなりに滑れるが、深雪なんて当時はもともとあんまり滑っていなかったのでえらく下手だった。雪が積もっていて、メインゲレンデなのに圧雪されていなくて、どうやって滑るの?なんて感じだった。(今にして思うと、もったいないなあ~~) Iさんが開拓したルートをなんとかくっついて行く私とHさん・・・っていう感じだった。

それが、時が経って、Iさんも、Hさんもすっかりゲレンデ深雪派になってしまって、八甲田ファンにもなってしまった。カービングのスキーで取り回しがしやすくなったこともあり、なんか皆それなりに深雪が当時よりも滑れるようになったようだ。

本当に久しぶりに逢ったIさんに「(MINMINが)随分昔に比べると新雪もコブも滑れるようになったね」と言われたのがとってもめちゃ嬉しかった~♪ 自分よりもずっとうまい彼女は師匠みたいなので、誉められると嬉しいものでした。

それにしても、Hさんと二人して「当時の足前でバンフに行ったのはもったいなかったね~~」と昔を懐かしんだ。でも、逆に言うと、ああいうゲレンデをかっこよく滑りたいと思う気持ちを持てたから、やっぱ当時行っていて良かったとも思える。いつか、もう一度もう少し天気のよい状況で滑りに行ってみたいものです。

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2005/01/18

志賀高原でパウダー三昧(その2)

siga (写真は高天ヶ原のもこもこバーン)


1月16日(日)

前夜から降り積もった雪が30センチは軽く積もっていた。やや温度が高いようで大粒な雪がしんしんと降っている。。視界は雪の割りに良好で、風もない。今朝はチェックアウト後、ジャイアントまでスキーを履いて移動。いつもならあっという間の連絡通路が、除雪作業で狭くなっていて大渋滞だ。

9時半頃にジャイアントゲレンデに到着。期待のバーンは、見事なほどまでトラックがない部分が多い。最大斜度34度というけど、これだけの斜面をパウダーで滑れるかちょっと心配だったけど、ここまで雪が深くて重くいと自然に体が止まってしまう。本能的に深雪エリアはリフト沿いだとわかったので、ここばかりを滑ることになる。雪まみれで嬉しい悲鳴。Iさん、Hさんは先に比較的楽な中央ゾーンに途中で逃げたが、私はめったにない良い機会なので、根性で深雪エリアで頑張る。2本目はやや慣れてきて、大分リズムをつかんで滑れるようになった。底がない深雪という感じで、腰ぐらいまで簡単に埋まってしまう。足を取られることも何度か。起き上がるのも大変だ。Iさんの滑りはやはり八甲田の常連だけあって、だんだんと本領発揮。後ろで見ていると勉強になる。そんな彼女でもこけるのだから、やっぱり深雪は面白い。3本目ともなると、自分は絶好調♪ Hさんは、やや重いパウダーに違和感があり。板が外れたようで、自分が下から10分位見守っていたが、スキー発掘できず。やむなく、もう一回上から救援に行くことにした。そうしたら、やっと現場に到着したら、やっとスキーが見つかって、ほっと胸をなでおろす。Hさんが八甲田を控えて、これでは悔しいのでもう一本行こう~! となった。結局やや重めの腰まで深雪パウダーをリフト沿いばかりを朝一で5本も滑って、既に太ももはすごい筋肉痛。でも、とっても満足。(後で志賀のHPを見たら、やはりリフト沿いは非圧雪ゾーンにしているようです。)

さすがに体が辛いので、次は寺子屋のパウダー狙いに移動。西館山~高天ヶ原を1本、タンネの森は修学旅行生が一杯だけど、可愛らしい樹林帯のゲレンデなので、軽くツリーランもどきを1本楽しんでから一之瀬経由寺子屋へ。予想通り閑散としたゲレンデだが、既にボーダーに新雪を食べ尽くされた感じで、斜度もジャイアントの斜面からすると緩くてつまらないので、早々に退散。本当は、メインバーンの逆の短いけど急な斜面が滑りたかったけど、閉鎖されているのでやむなし。

その後、高天ヶ原で昨日コブ斜面の練習をした所が、もさもさパウダーで人がほとんど滑っていないので、ビデオ撮りをして遊ぶ。2本ぐらい遊んでから、昼食を食べに東館~ブナ平とかなりよれながら、さらにジャイアントを1本滑ってからレストハウスに滑り込む。

さすがに、かなり疲れてきたのでゆっくりと昼食を摂ってから、「午後は怪我などしないように、お互い見える範囲で滑りましょうね」と確認してから、東館のゴンドラに乗るために移動。東館の急斜面の部分は新雪のなかにコブも隠れていて疲れる。雪は相変わらず降っているが、気温が下がってきて細かい雪に変わってきて、雪が朝よりも締まってきて滑りやすくなってきた。これまでも十分パウダー三昧だったが、西館は人が少ない分、ますますゲレンデはじの方の深雪が楽しい。あっというまにIさんがその深雪を映像の一シーンのように私の前を華麗にぶっ飛ばしていって、左カーブで姿が消えたと思った瞬間、雪にとられて自分はこけた。Hさんが、前方で待っていてくれるように止まってくれたのが心強い。結構起き上がるのが大変だが、やっと体勢を整えてよれよれとHさんの所に行くと、そこはIさんが、スキーを探すための発掘作業現場だった(爆笑)かなり穴が既に掘られるようになっていたが、私も参加してストックで探すが、本当に見つからず。スキーが外れてから3秒は片足で滑ったというから、そうとう広範囲で探したが、やっと30分位かかって発掘されて、歓喜の声を上げたのは言うまでもない。(苦笑)やっぱり、八甲田ではゲレンデ板にも紐をつけなくちゃね・・・と二人して痛感したようだった。

さて、悔しかった思いがあるのであと1本西館を滑ることにしたのは言うまでもない(笑) やはりシュプールのある所でなくて、あくまでもパウダーっぽい狙いのルートで滑る。すると途中で、パウダーレッスンらしきをショートターンをしている講習シーンを目撃。教師の力強い「よいしょ、よいしょ・・・・」という掛け声の深雪滑走シーンには気合を入れてもらった想いだ。彼らが現れたコースはわかりにくい場所で、下から見てとても美味しそうなパウダーコースなので、早速探しにあがってみる。するとFIS大回転コースという所だった。本当にシュプールが数本だけだ。思い切りはじけて、がんがん滑っていると、講習生の人達が後ろに登場。たまたまコースの真ん中に止まっていたら、コーチが真上から滑走してきて、とってもエッジングが効いた滑りを真下から眺めることができて感動~~☆

結局西館を3本連チャンで滑って、今回の締めの滑りとなりました。今回ご一緒した二人とも志賀は大好きで、私以上に何度も来ているので、志賀の膨大なスキーゲレンデマップなぞ見なくても、自由自在にゲレンデ間の移動ができるので、とっても私は楽だった。

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志賀高原でパウダー三昧 (その1)

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(左写真 焼額山、右写真 一之瀬&高天ヶ原方面 写真はクリックすると大きくなります)

やっと今シーズン最初の初滑りに行ってきました。今シーズンは一応療養中の身なんで(苦笑)、体が楽な新幹線と前泊を組み合わせてのプラン。一緒に行くのが、数日後に八甲田のガイドツアーに参加する足慣らしの二人で、そのうち片方は1級とゴールドをどっちも持っている飛ばし屋さんの彼女(Iさん)なんで、ついていけるか心配~~。


1月14日(金)
新幹線と長野からの直通バス利用で夜10時半には蓮池に到着。さすがにエコノミーな宿なので、かなりボロイ。1.5泊となると宿泊代が馬鹿にならないので、温泉ぽくない温泉が一応ついているだけで良しとしよう。


1月15日(土)
天気予報が嵐のように言っている割には、風はやや強いものの天気は曇りか晴れというところ。ロープウエイを使おうと思ったら風で運休。やむなくシャトルバスで高天ヶ原に行く。

土曜日というのにゲレンデはがら空き。ほとんど人がいない高天ヶ原を一気に滑走して初滑り。粉雪で雪質が良いので気分よし。圧雪がどこも綺麗にされている。(今日は深雪パウダー狙いは無理なようだ。)タンネの森を通過して一之瀬ファミリー2本→ 一ノ瀬ダイヤモンド~山ノ神を経て焼額へ。ところが、プリンスお得意の風のためのゴンドラ運休で第一ゴンドラしかやっていないという掲示あり。せっかく天気がよいので1回は上まで行こうと思ってゴンドラ乗り場に向かったら、ここだけは15分待ちの表示で長蛇の行列。今まで全くリフト待ちなしだったので、嫌になって近くのリフトで戻ろうとしたが、途中でこのリフトでは一之瀬方面に戻れないと気づき、しようがなく再びゴンドラ乗り場に滑り込んで20分位待ってようやくゴンドラに乗って山頂へ。気温が-4度というが、風がとても冷たいが、日差しは暖かい。

いつ来ても、焼額山はどのコースを滑っても同じように感じてしまって、私も相棒さん達もあまり好みのゲレンデではない。しかし景色だけは良くてリゾート気分が感じられるのがこのゲレンデのいいところで、この日は黒姫山の下の方と妙高山の下の方だけしか見えていなかったけど、まあまあロケーションを楽しんで再び戻ることにする。

山の神方面に戻る斜面が陽だまりで、かっ飛ばし斜面で楽しかったので、もう1本滑ってから一之瀬ダイヤモンドへ。相変わらず空いているゲレンデを快適に滑って一之瀬ファミリーへ。ここで初めてベルトコンベヤーなるものを発見!! 超驚きました。(今頃遅いでんしょうけど。。。)車道を越すところの山に部分を登らなくても、ベルトコンベヤーに立っていると自然に運んでくれるのがとっても嬉しい。長野五輪の後には来ていなかったので、随分こういう設備面やホテルなどが綺麗になっているのを発見して喜んでいる私でした。ファミリーを1本滑ってから昼食。

私は「私をスキーに連れてって」の時代を知っているけど、随分一ノ瀬も、そして志賀全体も寂れた感じのスキー場になっていると痛感した。お店はまだ1時過ぎなのにガラガラ。それでもお客さんがそこそこいるのと、同じ宿に修学旅行生が食事をしていたようなのがまだ救い。

昼食後はファミリー1本→ 高天ヶ原2本(コブ斜面撮影)→ 東館~ブナ平 → 西館3本 → 高天ヶ原1本 →東館~ブナ平 → ジャイアント1本 → 蓮池2本。 4時半までついつい滑ってしまいました。(^^;) ← どこが療養中なんでしょう。オイオイ・・・・・

早くも筋肉痛が・・・  (翌日は明日アップ予定 つづく)
   

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2005/01/08

グランマ・モーゼス展

20050107_1944_003グランマ・モーゼスは、1860年生まれのアメリカ人で、農家の生まれで、ずっと農業をやってきて、夫の死後70歳すぎから油絵に目覚め、101歳で亡くなるまでに約1600点を描き、アメリカを始めとして世界各国に知られる有名な画家です。素朴な農園風景を描いていて、名前を知らなくても、この絵は見たことがある・・・と思われる方もいるかと思います。

先日、たまたま新聞にこの方の記事が載っていて、70歳から何かを始めて素晴らしい業績を残した方であるということに興味を持ちました。記事には日本だと損保ジャパン美術館に何点か常設展示されているけど、この美術館は「ゴッホのひまわり」が最大のウリだけど、そのそばにある彼女の絵の方が、絵としてはゴッホよりも下手かもしれないけど、その何倍も「人に癒しを感じさせる」作品である・・・・・という紹介がなされていた。見たみたいなあと思っていたら、渋谷と新宿の2箇所で展示会が開催されることがわかったので、久々に美術展に行ってみることにした。

昨日は、渋谷・Bunkamuraで開催されている展示会に、仕事帰りの夕方に行ってまいりました。金曜日の夜ということで、開催時間が夜の9時までとゆっくりしているので、6時過ぎには到着。人もまばらで、静かな空間でゆったりと見学できました。

展示は、春、夏、秋、冬の順番に展示されておりました。また、絵を始める前には刺繍が趣味だったので、見事な絵の刺繍も5点ほど展示されておりました。油絵は60点ほど。ほのぼのとした作風で、ユーモラスであり、どの絵画も田舎の田園風景が一杯。アメリカの田舎の素朴な感じがどの作品にも描かれておりました。そこには、村人の姿も一杯載っていて、なんか、いいなあ~~。行ってみたいような楽しげな空間です。

ところが、半分ほど見終わったときに、途中のビデオルームでダイジェスト版みたいな生い立ちなどに触れた10分ほどのフィルムを拝見して、びっくり!! 彼女の描いた風景は、アメリカの田舎も第二次世界大戦後には荒廃してきてしまっていて、人々は農村から都市へと流失してしまっており、農地も荒れて、人々も居なくなってしまっており、その様子を悲しんだ彼女が、一生懸命記憶の中にある風景や人々の活気ある様子を再現しようとして絵を描き続けていたという。彼女の絵は、実在する風景というよりも、実は
    「心象風景だった」
ということなのでした。。。。。 

展示物には、古い雑誌の切抜きが近くに置かれていたので最初はよくその意味することがわからなかった私でしたが、その解説を受けて初めて理解したのでした。そういう昔の物を雑誌などから探して、モチーフとして、独自の構図で絵を描いたということでした。遠近感とか、綿密な話になると絵画に疎い私なので、こういう画法はどうなのかは自分にはわからないのですが、確かに彼女の「心の中の風景」と見るならば、こんいう描き方も納得です。

また、最初の頃の作品は、普通の描き方をしているものもあって、構図的には描写力はきちんとされているのですが、しだいに「グランマ・モーゼス様式」になってくると、だんだんと人数が多くなってくるようで(25人から35人ぐらい描かれている作品も多かったです)なんか、独自の楽しい世界に引き込まれる気がしました。細部も大変細かく仕上げていて、年をとっても絵に対しての情熱がとても感じられるものでした。

個人的には、冬の景色がとてもいいと思いました。本人も、冬の景色が好きだったようで、暗く厳しい冬の寒さの景色の中にも人々の暖かい交流の情景が素晴らしいと思いました。失われゆくものを遺しておきたい・・・・という作者の想いが伝わってくるようでした。

久々に目に保養となりました。

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冬山の厳しさ

新年最初の日記に、哀しいことを書かなければならなくなった。

今年のお正月に知人が山で帰らぬ人となった。自分は2年前に少しの間だけ山岳会に所属していて、実質幽霊会員みたいなものだったが、わずかに参加した岩トレでご一緒した方だった。岩トレだったので、待ち時間が結構あったので、山の話や世間話などをした内容も覚えている。そのときに、最初はご夫婦だけで山を楽しまれてきたけど、冬山は夫婦二人で行くと限られた山しか行けないし、テントも二人だと寒いけど、山岳会に入って良かったのは、冬山のテントは人数が多いとずっと暖かくて、個人では行けない大きな山に行くこともできるんで楽しいですよ・・・・とその楽しみを教えてくれたものだった。もちろんビレイをしあったり、わからない点を教えていただいたり、トレーニングのやり方や彼らご夫妻の真摯な山への取り組み方なども会話から伺うことができた。

冬山は確かに一人とか二人ではラッセルも含めてどうにもならない部分がある。自分は純粋な雪山登山は、最近は山スキーが好きなので、どうしても滑ることを主体に考えているが、でも本当は仲間がいれば歩く登山の形でお正月山行なども行ってみたいとは夢想することはある。厳冬期の北アにそれなりのコースで登頂するなんていうのは、やっぱりいいなあと思う。

今年の年末年始は、東京でも29日と31日にかなりの雪が降って、山の方では相当降ったのではないかと思われる。山ではどこで見極めをつけるのか、つっこむのか、戻るのか・・・・・全てリスクとの判断。
最初から悪天の場合は行かない、山域を変える、途中で撤退する、全て総合的な判断が求められる。とても難しい。。。。

今回の遭難箇所は春にならないと捜索できないようだけど、心からご冥福をお祈りいたします。
自分自身への警鐘も含めて、その死の教訓を持って、これからも山に向かいたいと思います。

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