冬山の厳しさ
新年最初の日記に、哀しいことを書かなければならなくなった。
今年のお正月に知人が山で帰らぬ人となった。自分は2年前に少しの間だけ山岳会に所属していて、実質幽霊会員みたいなものだったが、わずかに参加した岩トレでご一緒した方だった。岩トレだったので、待ち時間が結構あったので、山の話や世間話などをした内容も覚えている。そのときに、最初はご夫婦だけで山を楽しまれてきたけど、冬山は夫婦二人で行くと限られた山しか行けないし、テントも二人だと寒いけど、山岳会に入って良かったのは、冬山のテントは人数が多いとずっと暖かくて、個人では行けない大きな山に行くこともできるんで楽しいですよ・・・・とその楽しみを教えてくれたものだった。もちろんビレイをしあったり、わからない点を教えていただいたり、トレーニングのやり方や彼らご夫妻の真摯な山への取り組み方なども会話から伺うことができた。
冬山は確かに一人とか二人ではラッセルも含めてどうにもならない部分がある。自分は純粋な雪山登山は、最近は山スキーが好きなので、どうしても滑ることを主体に考えているが、でも本当は仲間がいれば歩く登山の形でお正月山行なども行ってみたいとは夢想することはある。厳冬期の北アにそれなりのコースで登頂するなんていうのは、やっぱりいいなあと思う。
今年の年末年始は、東京でも29日と31日にかなりの雪が降って、山の方では相当降ったのではないかと思われる。山ではどこで見極めをつけるのか、つっこむのか、戻るのか・・・・・全てリスクとの判断。
最初から悪天の場合は行かない、山域を変える、途中で撤退する、全て総合的な判断が求められる。とても難しい。。。。
今回の遭難箇所は春にならないと捜索できないようだけど、心からご冥福をお祈りいたします。
自分自身への警鐘も含めて、その死の教訓を持って、これからも山に向かいたいと思います。
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コメント
知人の方が亡くなられたとのこと、心中お察し致します。
雪山の場合、できるだけ安全に行くために、そしてより難しい所へ行くためにも、仲間と出掛けたいと思う。
にも関らず私が1人で行く1番の理由は心構えにある気がします。
他人を連れて行く技量も勇気もない私なので、他人と行く場合、ついて行く立場になります。
そうするとどうしても気の緩みが出てしまうのです。
事前の下準備から食糧、装備、ルート選定・・・全てを自分1人でやらないといけない。
そういう状態に追い込まないと本当の意味で、神経が研ぎ澄まされないのです。
結果として、危ないと思ったらすぐに引き返してしまうので行動範囲は限定されますが、それでも他人任せの気の緩んだ山行よりもましだろうと思うのです。
難しいですね、山って。
投稿: GAMO | 2005/01/10 00:35
GAMOさんは、結構根っからの単独がお好きなのかな? 確かに同じルートでも、パーティーで行くとある種安心しちゃうような、渡れば怖くない・・・みたいな。
絶対にそうであってはならないのですが、人の心理も難しいものですね。
投稿: MINMIN | 2005/01/11 00:50