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2007/03/04

戸隠の思い出~BCへの芽生え~ 

リンク先のえびさんの所で、戸隠のレポを読んでいたらとても懐かしく感じた。

実は自分は学生時代の雪シーズンは戸隠がメインゲレンデで、毎年、山のサークルでスキー合宿をしていたのです。自炊の山小屋で、完全山屋的スキー合宿でありました。

ここの山小屋は、学校関係の山岳部が所有していた小屋で、うちらのサークルの創設者がそこの山岳部の出身なので使っていたのでした。

自分の所属していた山のサークルは雪山と岩登りはしない・・・・というクラブだったので、冬は専らゲレンデスキーをこの小屋をベースに1週間単位で合宿でやってました。朝、昼、晩と3度も食事を作るので、それも人数が10人から20名ぐらいまでなので大変。山の食事の練習のつもりで作っていたけど、チームワークを養うっていうのかな?そういう集団生活で山を登るよさ・・・みたいなのを学んだものでした。

でも、女性は自分より上には各学年1名ずつ、自分の下にはずっと入ってこず、やっと引退した4年生の時に1年生に3人ぐらい入ったのかな?合宿には女性は自分ひとりのことが多くて、ちょっと大変でした。料理は男性の方が大量にダイナミックに作るのは上手いですから、自分だけがやっていたわけではないし、手分けしてやっていたけど、山小屋自体はお風呂は上がり湯がないし、とっても寒いし。水道も使えなくなるような凍結状態の時もあった。

スキーの方は朝はリフト動く前から待機して滑っていて、昼はわざわざ昼食を作る&食べるためにゲレンデから離れた山小屋まで戻って、夕方も遅くまで滑ってました。戻ってからも、夕食を作るし、夜は遅くまで毎晩山談義。なんか、やっぱ若かったんだと思ってしまうものです。

そんな中で印象的だったのは、毎日ゲレンデ滑るのも飽きるので合宿の中で一日はクロカンをやることでした。ウン十年?前の戸隠は当時からクロカンがレンタルできて、昼食とコンロを持ってピクニック気分。鏡池や奥社界隈などをぐるぐる。またゲレンデ脇から普通の板のまま、ちょこっとだけバックカントリーに出没するなんていうのをやっておりました。

ゲレンデの瑪瑙山からは対峙する飯縄山にはいつか登ってみたいなあ~と毎年思っておりました。そんな訳で卒業するとクラブのメンバーでは山スキー始める人がちらほら出現。もう少し後輩だと、第一次テレマークブームの時にテレマークを始めてハマリまくった人達もおりました。自分は少し出遅れたのですが、山スキー始めました。

でも一緒にやる人がすぐに居なくなってしまって、1年で自然消滅。未だにジルブレッタ402のついた山板とコフラックの山兼用靴は持ってます。今みたいにネットなどの情報があると行きやすいですが、当時は全くの口コミの世界に近い。山岳会にでも入れば別だったでしょうけど、なんかマイナーな趣味っていう感じが強かったです。(今もマイナーではありますが) それに物凄く滑りにくい板!何であんなに滑りにくいんだ!と思うほど、ゲレンデの板との違いに唖然としました。要はあんまり滑って面白くないんです。

昨シーズン、その思い出の戸隠スキー場に久しぶりに行って飯縄山を登ろうと思ったのですが、天気がイマイチなので、長年の思い入れのあるコースなので諦めて、ゲレンデ滑ってました。昔よりも少し広くなったようで、設備も随分よくなって感慨深かったです。

今年こそ!と予定していたら、雪が少なすぎてちょっとなあ~。戸隠スキー場も部分的に土が出ているという情報もあったし、近くの飯縄スキー場はコース閉鎖したとかしないとか? また来年の宿題となってしまうようです。

大変思い出の深い戸隠ですが、山小屋は借地権の関係で数年前に使用できなくなり、心のふるさとが消えてしまった気分です。青い空と戸隠連山の景色を毎朝、山小屋から見るのが楽しみだったなあ・・・・ 

最近で温泉が出来たり、中社の方のお蕎麦屋さんが有名だったりするけど、どうも自分の記憶の中では、中社に行くには30分ぐらい歩かないとならないので、ほとんど寄った事が数回しかないのです。(学生なので、車を持っていないので、皆で歩いてました ^^;) 有名なうずらやさんって、当時からあったのかあ? 来シーズンこそは、飯縄山の山スキー登頂を目指そうって強く思うのでした。

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コメント

戸隠、私も学校の研修所があったんで懐かしいです。
うずら家は創業が1967年てあるから結構古いみたいですね。
でも、私もあんなに行列してるの見た事ないですよ。
飯綱山のスキー場は雪なくて営業してなかったです。
「一時閉鎖」って書いてありましたけど。

投稿: えび | 2007/03/06 12:34

戸隠、懐かしいです。
私はいつも第二象現で寝ていたと思います。

クロカンも鏡池だかで食べたお汁粉が忘れられん。
って、卒業後、先輩(2つ上の両S氏)と行った裏磐梯かもしれんけど。

食事は人数が多い時は、作る組と片付け組に分かれてやってましたねぇ。
ムッチャ合理的なんで驚いた。

戸隠には卒業後、全く行ってなかったんですが、ここ数年は年イチ位で行ってます。
シングルは無いし、高速リフトが増えたり、やなぎらんも出来てるし、驚き。
コース外にも寛容なので、また行く機会が増えそう。

温泉も出たんだよね。神告げ温泉、イワナの刺身は安くて旨いよ。

うづらやには学生時代は秋しか行ってなかったなぁ。
屋根のペンキを塗り替えに行ったもんです。
結構、急なんで、虎ロープや細引きで確保して
古いペンキを削ったりしました。突然、吹雪いて焦った事もあったな。

最近は「蕎麦の実」だったかな。こっちの方が空いてる上に美味しいかな。
うづらや、蕎麦が冷たすぎ。香りも心なしか落ちるような。

今では、あの小屋も使えないんだねぇ。
「心のふるさとが消えてしまった気分」..判りますなぁ。
結局、我々の思い出の中だけのものになってしまったなぁ。
ま、当時を思い出すべく集まりますかね。

でわ!

投稿: 糸屯 一 | 2007/03/07 02:28

★えびさん
えびさんも研修所があったとなると、青春の思い出の場所なのですね。
うづらやさんは1967年というと、既に私の学生時代は当然やっていたはずですね。たぶん、あの店かな?という場所があるのですが、1度だけそれならば学生時代に行った記憶があります。
でも、ほんと行列はなかったですね。
飯縄のスキー場やっぱり雪不足ですね。
今年はえびさんのみずなら大王のレポで行った気分になって楽しみました。ありがとう♪

投稿: MINMIN | 2007/03/10 19:09

★糸屯一君
>私はいつも第二象現で寝ていたと思います。

おお、懐かしい、その言葉!!
私達女性エリアはカーテンが唯一ある右上だっけ?あそこだと第一象限になるのかな?そこから小さな窓から外を見るのも好きだったです。

そうか、作る組と片付け組み、よく覚えてますね!
自分はいつも作る組だっけな。あと買出し組みも居たね。
今でも自分の料理は山屋のあの合宿の時の料理の感覚に近いかも?

私も去年久しぶりに行って、本当に戸隠が良くなっているので、再び見直しました。温泉にはまだ入っていないけど、車だ行ったら楽しいでしょうね。雪はもともと良い場所だけど、来シーズン、機会があったら戸隠のクラブ同窓会でもできるといいね。御蕎麦も食べたいし(バスで行くと、中社でまったりできないのです。)

>結局、我々の思い出の中だけのものになってしまったなぁ。
ま、当時を思い出すべく集まりますかね。

そうですね、また、是非集いましょう♪

投稿: MINMIN | 2007/03/10 19:16

あの小屋、使えなくなっちゃったんですか
知りませんでした!

夏にそばうちの集まりに行ったのも10年ぐらい前ですか、
あれが最後になってしまいました。

それでも、タンネの森 とか、ネパール料理や(チェンバロの後)などがあって、今でも泊まりにいきたいところです

※以前よく行ってた頃は、中社のおそばを食べに、お昼に向こう側に滑り降りて行ってました!!

投稿: Ma | 2007/03/13 21:15

★Maさん
もしや、manaさんかしら?
小屋が使えなくなったのは結構前のような?
10年近く前ではないかなあ?
チェンバロって、懐かしい名前だなあ・・・・。あのお店はネパール料理になっていたのですか?あの界隈は、当時からクロカンで歩くの楽しいこーでしたね。

中社ゲレンデからおそばを食べに行く手がありましたね。
そういえば、そんなことを後輩はしていたような?
中社ゲレンデはあまり当時から使ってなくて、去年久しぶりに行ったら、パウダーの美味しい所があって、うはうはでした!

思い出の場所は心の中で大切にしよう・・・っていうことでしょうかね。

投稿: MINMIN | 2007/03/13 22:51

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