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2009/02/11

「山頂に残された旗~マッキンリーに消えた植村直己の足跡~」

偉大な冒険家であり、登山家であった植村直己さんが没25年だという。たまたま、メモリアル展示が開催されているということを知り、初めて植村冒険館(板橋区蓮根)に行ってきた。

植村冒険館のHPはこちらhttp://www.uemura-museum-tokyo.jp/

あれだけ偉大な方だと、故郷の兵庫県にも植村直己冒険館というのがあるという。さらにびっくりは、入場無料。太っ腹♪

久しぶりにクロスバイクに乗って、のんびりポタリング。環八を目安にしていたが、途中で車道は地下にもぐったりすること数度。ちょっと迷子になったりして、辿り着くのに思ったよりも時間がかかった。coldsweats01

植村冒険館は住宅街に溶け込んだような感じのビルだ。1Fには山岳関係の本が一杯ある。2階が展示室。こじんまりとしている。1時間番組でかつてテレビ朝日で放送されたものを放送しているようだ。途中から見始めたけど、江守徹のナレーションが耳に優しく引き込まれた。あたらめて氏の偉大さを感じる。

2009211_001  2009211_003 (写真は全てクリックで拡大)

最後のマッキンリーで消える直前までの生き生きとした表情や行動が見ていて辛い部分もあった。私はずっと登山をしているので、植村さんがマッキンリーに消えた時、どうせそのうちひょっこり現れるのでは・・・・とずっと思っていた。最初は日本人で初のエベレスト登頂者として登山の世界から表舞台に出た方だが、その後は冒険家として活躍された頃のことが懐かしい。

改めて思うと、25年間の時の流れを感じる。植村さんがあれほど強く望んだ南極行きはフォークランド紛争などの国際政治に阻まれて到達できず。それが、今では高額ではあるものの(約3~400万円程度か?)南極最高峰へのガイド登山も存在している。とにかくお金を支払えれば普通の人でも行ける時代となった。真冬のマッキンリーは今でも凄い厳しいエキスパート世界だが、春から初夏のシーズンのマッキンリーは多くの登山者が行ける時代となった。植村直己の時代は本当の意味での冒険が出来た最後の世代・・・という感じがする。

長い放送が終ると、展示品の見学をした。日記や当時の遺品がリアルに展示されている。日本国旗が山頂にしっかり突き刺さっている写真がまさに残された旗なのでした。装備は、あれはゴアテックスなのか?まだ当時はゴアは少なかったので違う素材のアウター上下の気がした。リュックも意外なブランドだった。そりも思ったよりも小さかった。

  2009211_012  2009211_010

Uemuranaomi1 ←遺品の日本国旗と山頂に残された旗の画像

2009211_006 ←最後の日記 雪洞の掘り方などが色々と書かれている。研究熱心な姿がうかがえる。

一通り眺めて満足して、1階に戻る。1階の山岳図書は素晴らしい蔵書の山で、近所ならば毎日通いたいぐらいだ。ここにない山岳関係の書物はないのでは?というぐらいの豊富さだ。硬い山岳の名著から、漫画の「岳」、各種ガイドブック、最新の「山と渓谷」「岳人」「ROCK&SNOW」とか。また、各種の山岳団体からの寄贈の刊行物等も一杯ある。有名な山岳会ならばほぼ揃っているみたいだった。最新の山スキーRSSAのベルクシーロイファーの最新刊も置いてあったので、少しだけ拾い読み。snow

本当は一杯読みたい本だらけなのだが、外も暗くなってきたので、後ろ髪引かれる思いで後にした。ここでは本は原則は館内で読むことだが、(本の種類にもよるのかもしれないが)3冊程度ならば借りることもできるそうだ。もっと家から近かったらいいのになあ・・・・・

植村直己ファンにとっては必見の名所だろうけど、山岳図書の愛好家もここは必見の場所みたいです。無料での開放が嬉しいものです。なお、この展示は3月1日までやっております。

また、<さよならナオミ>という1984年7月2日にテレビ朝日で放送去れた番組が没後25年でBS朝日(衛星放送)で2月15日(日)16:00~16:55まで再放送されるそうです。恐らく私が館内で拝見したテレビ番組だと思います。途中から見たので、あと前半も見たいので私は録画しようと思ってます。

◆本日の自転車走行距離:約32キロ 迷子距離結構・・・   ◆速度 ぽたぽた~~

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コメント

最近植村さんの名前を見たと思ったら、堀江謙一さんの特別賞?がニュースになってましたね。
ここって、植村さんが住んでいた所なんでしょうか?
親戚が近くにあって、子供の頃に何度か行きましたが、もしかしたらすれ違っていたりして・・。

植村さんがマッキンリーで消息を絶ったというニュースは、何となく覚えています。
何となくと言うのは、私にとっては加藤さんがエベレストで遭難した時の方が、大きな事件だったので。
植村さんはむしろ亡くなってからの方が、人柄を含め偉大な人だったのだと知りました。
何か、純粋な人ほど早く亡くなりますね。
生き残って山屋を止めた方々は、アクが強い様な・・。
もっとも、彼らも生きていれば、どんな生き方をしていたかは判りませんが。

投稿: REI | 2009/02/12 20:18

★REIさん
ここに住んでいたのではなくて、板橋区内に15年間ほど住んでいたようです。

>私にとっては加藤さんがエベレストで遭難した時の方が、大きな事件だったので。

実は私もそうなのですsun
加藤保夫さんのファンでした!heart02 エベレスト登頂がテレビで生放送している時なんか、ずっとテレビに張り付いてみてました。
インパクトは、加藤さんの方が私にとっては大きかった。当時の植村さんは山というよりも冒険家としての活躍の方が大きかったので、そんなには興味を持っていなかった・・・というのが正直なとこと。ただ、もちろん「青春を山に賭けて」の本は読んでいたと思いますが。

彼の純粋な部分がクローズアップされ、心打ちます。冒険とお金とマスコミ報道等、いろいろと俗な世界との関わりが大きくなったような気がしましたが、本人の素朴なインタビューを見ると胸打つものがありました。

投稿: MINMIN  | 2009/02/12 21:32

私も加藤保夫さんの大ファン!
あの頃は未だ山登りなんてしなかったのですが、知らない世界を覗いてドキドキハラハラしていたものです。私の同僚のクライマーには兄滝男さんから名前をもらって**滝男というのがいますが、兄弟揃ってファンが多いんでしょうね。

投稿: 常吉 | 2009/02/14 07:22

★常吉さん
植村さんの話を書いても、何故か加藤保夫さんの話になってしまうほど、当時の山岳界は華やかな加藤さんが輝いていた時代ですね。それに比べるとエベレストサミッターではあるものの、植村さんは地味な実直なお人柄という感じだったことを改めてこの日みたビデオなどで思い出したものでした。
滝男さん。。。お兄さん、可愛そうに今井通子さんに振られた男で有名?な方ですね。兄弟揃って有名人でしたね。

投稿: MINMIN  | 2009/02/14 08:39

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